2007年7月30日月曜日

中の小さな人

ソフトウェアは「中の小さな人」だ. ユーザは「外の大きな人」.


じゃあ, 開発者は?


「中の小さな人」の親方か? 「外の大きな人」の奴隷頭か?


僕は親方でありたいと思う. 「中の大きな人」だ.


2007年7月4日水曜日

フリーター, Steven Mellor

ここに, UML の実行可能性に関する公開質問状が出ていて, それはそれでいいのだが, その署名にブーチ, ヤコブソン, ケネディらと並んで


スティーブン・メラー (Freeter)


とあるのが, 泣かせるではないか. あのメラーだよ. それが「フリータ」だよ. Mentor は Project Technologies を買収後いったいどういう処遇をしていたんだろうか.


この際, 日本で誰かメラーを雇わないか?


# メラーは最近「フリータ」を自称しているようで, 各所で肩書きは (英語で) freeter となっている.


# 誰かがこの和製英語 (だよね?) を吹き込んだらしい. 二上さん?


# 僕も「有限会社メタボリックス代表取締役」なんてのは止めて「有限会社メタボリックス代表フリータ」とでもしようかしらん.



OptimalJ オープンソース化?

なお, 今入った情報に依りますと...


えー, 失礼 (がさごそ) ...


Compuware 社はモデル駆動開発ツール OptimalJ  を ModelDriven.org に移管し (つまり見捨てた), オープンソースとして公開する方向だということです.


OptimalJ は大昔に @IT でレビューしたことがある. どちらかというと「ださ」系 MDD ツールなのだが:-), OCL などで知られている Klasse Objecten の連中も噛んでいるようで, 面白いところもある.


ちょっと動向を追いかけてみる必要があるかも.


要求をアフォードするシステム/開発

我々はソフトウェア開発が常に「要求」から発するものである, 要求に何らかの変化を施すことによって最終的にソフトウェアというものになる, という世界観に縛られている.


でもそれは多分嘘だ.


「純粋な要求」というものはない. 要求は実はソフトウェアから作られるのである. したがって貧弱なソフトウェアは貧弱な (あるいは誤った) 要求しか作り出さない. 豊かなソフトウェアは豊かな要求を作り出す.


我々ソフトウェア開発者がすべきことは, 要求を正確に定義し, その要求を忠実に実現することではない. 豊かな (正しい) 要求をアフォード (= 可能にする, 与える) するようなシステムをまずは作ることになる.


これが「→」から「≒」へのパラダイム・シフト, ということなんだが...


2007年7月3日火曜日

SS2007

新潟でのソフトウェア・シンポジウム 2007, 無事終了しました. SS2007 全体, モデリング・ワークショップ, grails チュートリアル, それぞれに参加いただいた皆さん, 有り難うございました.


僕としては, 昔懐かしい松尾さん, 塩谷さん, 佐原さん, 好一さん, 石曽根, ひろのぶなどなどに会えたのも, 新しい友人に会えたのもよかったですが, 松原友夫さんとたまたま最後の昼食をご一緒できたのが嬉しかったです. 何と言っても隣町 (松原さんは神奈川県中郡二宮町, うちは同じく大磯町) 同士ですし:-)


松原さんはプロジェクトが終わったら必ず論文を書かせるんだそうです. 土日を使ってでも. で, 松原さんも休みを潰して指導をするという. いいですね. (悪い意味ではなく) 論文に値するような仕事をしなくちゃ.


「もし」来年もモデリング・ワークショップやるとしたら, もっとよくできるんじゃないかな.



2007年7月2日月曜日

ソフトウェアはオートポイエーシスか?

オートポイエティックなシステム (オートポイエーシス) とは, 何か (構成素という) が自分自身を産出し続けることで維持されるシステムのこと. 本来の対象は有機体 (生命) で, マトゥラーナとヴァレラが言い始めたものだ.


その後, ルーマンが「心は意識を構成素とするシステムだ」「社会はコミュニケーションを構成素とするシステムだ」と言い出した. この拡張を許すとすれば, 「経済は差異を構成素とするシステム」であり,「国家は権力を構成素とするシステム」であると言えそうだ. 要はいったん始まったらはびこって, どうしようもないものどもということだな:-)


ではソフトウェアは何らかの意味でオートポイエーシス, あるいはその構成素だろうか? 確かにソフトウェアを創り出すソフトウェアはいっぱいある (例えばコンパイラ). でもそれはなかなか連鎖にならない. 勝手に産出過程が進んだりはしない.


ソフトウェアの構成素は「情報」か? 確かにソフトウェアは情報を産出する過程だ. でもソフトウェアはそれによって維持されているわけでもないし, 情報が情報を産出するわけではない (今 Websphere はそうなりつつあるか?).


知識は知識を必然的に産出し, それによって構成されているシステムもある (例えば大学) が, まだ勢いは弱く, それが止められない循環を創り出しているとは言い難いような気がする.<


したがって, 少なくとも現状ではソフトウェアをオートポイエーシスの言葉で語るのは難しいだろう. それはそれで幸せなことなのだろう.


などということを, 上越新幹線の窓から向こうまで広がる田圃を見ながら考えていたのであった.