「機能性はただである」
Phil Crosbyが1970年代末に「品質はただである」と言ったのをパラフレーズして少し極端なことを言えば, 2000年代末, 「機能性はただである」.
今, ソフトウェアを開発するのは機能性を提供するためだということになっている. 「こういう機能があったらいいな」と思って, それを実現するためにソフトウェアを作る (何たって見積もりに使うのがファンクション・ポイント = 機能点だもんね). 確かにそういうソフトウェアは今もこれからも無数に存在するだろう. けど, ソフトウェアで機能を実現するためにはその裏にある「様相」をかたちにしなくちゃいけない.
「様相」というのは, ドメイン・モデル, オントロジ, 背景知識, 文化が作るテクスチャのようなものだ. ソフトウェアの本当の仕事はそれらを (任意の時点では不完全にしかできないけど) かたちにすること. それらが (よいアーキテクチャで) かたちにできていれば, そこから「機能」を作り出すのは (ほとんど) ただ. 本当ならばユーザにでもできる仕事でなければならない.
様相については改めて書いてみたい.
参照
- 「クオリティ・マネジメント - よい品質をただで手に入れる法」, フィリップ・B・クロスビー, 日本能率協会, 1980
- "Quarity is Free - The Art of Making Quarity Certain", Philip B. Crosby, Mcgraw-Hill, 1979
- 「空間 <機能から様相へ>」, 原広司, 岩波現代文庫, 岩波書店, 2007