2007年7月2日月曜日

ソフトウェアはオートポイエーシスか?

オートポイエティックなシステム (オートポイエーシス) とは, 何か (構成素という) が自分自身を産出し続けることで維持されるシステムのこと. 本来の対象は有機体 (生命) で, マトゥラーナとヴァレラが言い始めたものだ.


その後, ルーマンが「心は意識を構成素とするシステムだ」「社会はコミュニケーションを構成素とするシステムだ」と言い出した. この拡張を許すとすれば, 「経済は差異を構成素とするシステム」であり,「国家は権力を構成素とするシステム」であると言えそうだ. 要はいったん始まったらはびこって, どうしようもないものどもということだな:-)


ではソフトウェアは何らかの意味でオートポイエーシス, あるいはその構成素だろうか? 確かにソフトウェアを創り出すソフトウェアはいっぱいある (例えばコンパイラ). でもそれはなかなか連鎖にならない. 勝手に産出過程が進んだりはしない.


ソフトウェアの構成素は「情報」か? 確かにソフトウェアは情報を産出する過程だ. でもソフトウェアはそれによって維持されているわけでもないし, 情報が情報を産出するわけではない (今 Websphere はそうなりつつあるか?).


知識は知識を必然的に産出し, それによって構成されているシステムもある (例えば大学) が, まだ勢いは弱く, それが止められない循環を創り出しているとは言い難いような気がする.<


したがって, 少なくとも現状ではソフトウェアをオートポイエーシスの言葉で語るのは難しいだろう. それはそれで幸せなことなのだろう.


などということを, 上越新幹線の窓から向こうまで広がる田圃を見ながら考えていたのであった.